【認知症】母がレビー小体型認知症になりました(13)

認知症

どうも、ぼちぼちです。

母がレビー小体型認知症と認定され、同じ病気のご家族の方の参考になればと、どんな出来事があったかつらつら思い出しながら書いています。話が前後することもありますがご了承ください。母は現在、グループホームへの入所を待ちながら小規模多機能型居宅介護施設でずっと生活しています。

前回の記事では大病院への通院をやめたところまででした。

入所時アンケート

施設入所すぐに母の様子についてのアンケート用紙を渡されました。
本人の状況をよく理解するために必要なもので、利用者全員に実施されるものです。その用紙を受け取ったとき母は調子がよく、わたしと会話ができたので「これ書いて」と母に渡し、順番に一緒に見ながら答えていきました。質問が多くて全部を埋めることはできませんでしたが自分の状況をある程度理解できていると思いました。
のちに職員さんに「あのアンケートを自分で書いた人は初めてです」と言われました。ほかの方はご家族の方が優しく、代わってらっしゃるのでしょうが、わたしはできることは自分でやるべきと考えました。

飲まない食べない

飲まない食べない状態はやはり続きました。時々ほんの少し飲んだり食べたりするのでかろうじて命はながらえていました。

ごまかしがきかない

何がどうだったかすっかり忘れてしまいましたが、母が何かの薬を職員さんにせがみ、それを飲ませないがために代わりにビオフェルミンを渡そうとしたけれど「これちがうやろ」とすぐに見抜かれてしまったそうです。そんなこともあり母は「ボケる」というのとは少し違う印象でした。

着るものがない

施設からもらった持ち物リストにそって最低限の衣類を持っていきましたが、母は着るものがない。と言い出しました。以前からよく洋服を買い、あれこれコーディネートするのを楽しんでいたので、ほかのことは何にも興味がなくてもそういう意欲はあるのか。と実家にある衣類を片っ端からかき集め、虫食いになったり汚れの激しいものは処分して季節の衣類を施設に持っていきました。フォーマルなものは除外しましたが「お葬式に行かんなあかんから喪服いるねん(妄想)」としょっちゅう言うので、喪服攻撃からわたしが解放されるため一着だけ置くことにしました。
日本家屋を改装した施設なので、母の寝泊りしている部屋は畳の和室でふすま、障子、障子の向こうに縁側。という、まるで普通の生活をしているように感じられるような作りで、洋服ダンスとベッドがあります。病院や大きな施設とは違いすごくいいと思うところです。

妄想を修正できない

妄想が激しいのは困ったことですが、妄想自体よりそれをどれだけ説明しても修正できないところがイラ立ち、対処に苦慮する点です。前述の喪服にしても「誰のお葬式に行くの?」と聞くとそれが私(ぼちぼちのこと)だったりしました。化粧品のビンに可燃物が入っていてすぐに爆発する!とか、入れ歯が自分のものではないからと長いこと入れないことがありました。「ほら(容器に)名前かいてあるやろ?」と言っても「違う人のや」と。「違う人のやったら合わへんやろ?」「今だけ借りといたら?」といろいろ言い換えてみてもやっぱりだめでした。本人が納得しない限り無理なのです。当時は何とかしたいと考えていましたが、最近ではどうしようもないこと。とあきらめられるようになりました。あ、ちなみに今は入れ歯は使っているんです。変化もありました。
ないないづくしの今回はこのへんで。

では今日もぼちぼち行きましょう。

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