【よもやま話】昭和の味噌づくり

暮らし

どうも、ぼちぼちです。

昭和40年代

私が子供の頃、お味噌は1年分を一度に作るものでした。

冷蔵庫はありましたが、お味噌は常温で保存していたと思います。

祖母が主導して作っていました。

麹づくりから

大豆を茹でる前にまずは麹づくりからです。

蒸したお米をコウジュウタにふきんをかけてその上に広げます。
少し冷めたところで、ふわふわ舞う麹菌をまんべんなくふりかけます。

そのあと、ふきんでくるむようにして何日か置いていたと思いますが、
どこに置いていたかとか、どれくらいの期間だったかの記憶はありません。

大豆を茹でる

私が大好きだったのは大豆を茹でて潰すところでした。

どんな鍋で作ってたかを思い出せません。かまどを使ってた頃は羽釜だったのだと思います。

ゆであがった大豆はミンサーへ入れて、ハンドルを回すと穴から潰れて出てきました。

こんな感じの金属製のミンサーでハンドルは木製でした。

ゆであがった豆をつまみ食べるのも、穴から出てくる様子も面白かったのです。

最後に麹と塩をしっかり混ぜて、おおきな壺の中に空気が入らないようにつめて半年以上待ちます。
年に一回の作業だったから、前の年のを食べ始めるタイミングで作っていたのかもしれません。

この金属製のミンサーはうちのものではありませんでした。
毎回、荒物屋(あらものや)さんで借りていました。
多分有料で貸し出すサービスがあったんでしょう。買うんじゃなくて近所で借りられるって今じゃなかなか無いですよね。

従妹たちの味噌

今では、従妹姉妹もそれぞれお味噌を作っているそうです。
それで困ったことがあったそう。

「おばあちゃんの作るお味噌はずっと白いままだったのに、色が濃くなって溜まりが浮いてくるねん」
確かに家ではそんなに黒いお味噌を見たことがありませんでした。

色が濃くなるのは糖とアミノ酸が結合して褐色になるメイラード反応だそうです。

Q9.味噌によって色に違いがあるのはなぜですか?
白味噌は、一般的には大豆の浸水時間を短くし、蒸さずに煮ますが、そうすることによって褐変の原因となる糖などの水溶性成分が取り除かれ、 熟成の際のメイラード反応が抑えられて色が淡くなります。

逆に、大豆の浸水時間を長くし、高温で長時間蒸煮すると、たんぱく質が熱変性して酵素による分解が促進されるため、 濃い赤い味噌となります。また、醸造中の品温が高いほど、またその期間が長いほど、色が濃くなる傾向があります。

山形県醤油味噌工業協同組合HPより

 ふーん、知らんかった!最初の浸水時間と過熱方法にも影響をうけるのか!?

以前、母に尋ねたら、「麹が多いのかもしれない」と言っていました。
そんな影響もあるかもしれませんねぇ。

ゆでた大豆大好きだったのに、いまではアレルギーで食べられなくなってしまいました。
お味噌ももう作る機会はないかもしれません。

では、今日もぼちぼち行きましょう。

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