【認知症】母がレビー小体型認知症になりました(37)

認知症

どうも、ぼちぼちです。

母がレビー小体型認知症と認定され、同じ病気のご家族の方の参考になればと、どんな出来事があったかつらつら思い出しながら書いています。話が前後することもありますがご了承ください。

2020年の2月から小規模多機能型居宅介護施設に入所後、
2021年11月から同じ建物の2階のグループホームに移動しそこで生活しています。

グループホームに移って変わったこと

前回お伝えしたように、

グループホームはハイツ
小規模多機能型居宅介護はビジネスホテル

と、とらえていただいて話を進めます。

防水シーツ

グループホームに移って「防水シーツを持ってきてください」と言われました。
考えが及んでいなかったのですが、以前は施設のものをお借りして使わせてもらっていました。
これからはお部屋を借りているので物は自前で用意するのです。最近になり、普通の寝具も用意してくださいって言われました。あれ?聞いてなかったけど?聞き漏らした?でも考えたらそうですよね。

洗濯

今まで、洗濯物を週1回程度取りにいき、家で洗っていました。汚物で汚れたりした場合はすぐに施設で洗ってくれ、一回いくら。というように料金が請求されていました。

グループホームでは洗濯もやってくれます。洗濯機で一緒に洗えないデリケートなものだけは持って帰って洗うことにしました。私の負担は軽くなりました。

叔母にも春が来た?

父の妹、叔母は以前から同じことを繰り返し話す、軽い認知症状が出ていました。
それは母がおかしくなる前からだったのでもう何年も経ちます。

現役時代は大阪市内で暮らしていましたが、年老いて田舎の一軒家に移住しひとりで暮らしていました。車を運転し買い物にも行けたし、時々は電車で大阪のいとこが住む家に行ったりと、自由な時間を過ごしていました。

一昨年だったでしょうか、転んで起き上がれなくなり入院してから怪しくなってきました。
ひとりで生活することを心配した、いとこが大阪に呼び寄せ、姉妹で世話していますが、朝起きると自分がどこにいるのかわからなくて混乱するらしいです。

どうも、田舎の一軒家で寝たり、大阪の家で寝たり、寝るところがコロコロ変わるのが良くないと言われたそう。これからは田舎の家に暮らし、いとこ姉妹がそちらに寝泊まりすることにしたそう。大変だなぁ・・・。

認知症にならずに年老いたいものですが・・・・。こればかりは意志の力だけでは難しそうです。

母が認知症になり父は

母が認知症を発症する前。便秘がどうの不眠がどうのと言い出す前の父は、同じことを何度も話すようになったりして、そろそろボケてきたのかなぁなんて思っていたのですが、母がこうなってからの父は実にシャキッとしました。

怒涛のように押し寄せる問題に対処するのに必死でぼんやりするヒマと余裕がなくなってしまったからではないでしょうか?

今でもひとりで家の掃除をして、ご飯を炊き、おかずは義姉が作ったものと買ってきた物ですが、自炊です。車を手放してからは自転車で買い物に行ったりしています。

しっかりしなくては!という気合があるようです。かといってさすがにひとり暮らしは、こちらが不安です。せめて生存確認だけは。とトイレの入り口に見守りカメラを設置しました。私と兄で1日3回アプリでチェックしています。

このカメラはひとり暮らしになった義母宅にも設置して夫がチェックしています。専門のサービスより手軽に、と思う方にはおすすめです。WIFIとアプリが必要ですので設置する場合は必要なものが揃っているか確認してくださいね。

うちで使っているのはコレ。四角いタイプのものです。

では今日もぼちぼち行きましょう。

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