【よもやま話】アパレルむかし話。紙でパターンを作っていたころ

平成ばなし

どうも、ぼちぼちです。

わたしが社会人になったのはバブルが弾けて数年の平成元年、

入社したのはプレタポルテ製品を作っている会社でした。

アナログアパレル時代

平成元年。

CAD(コンピューター支援設計)は、学校で参考程度に習っただけでした。

会社ではコンピューターをサイズ展開のためだけに使っていました。

2畳分ほどの平らなプロッターに描画するのです。

専用のコンピューター室があり、グレーディングチームがいました。

CAD導入を見据えてトレーニングを受けましたが

6年とちょっとしてこの会社を退職するまでには導入されませんでした。

実際にパターンづくりに使ったこともありませんでした。

ハンドパターン

そのころのアパレルはまだ紙でパターンを作っていました。

デザインをみて過去の似たパターンを保存場所から探し出して

それを参考に新しい紙に写してから作り始めます。

この写す作業、地の目に対して直角線を引くのが難しく、

正確に写し取るのがとても難しかったです。

すごく上手くできる先輩がいて、尊敬したものです。

コンピューターで作る今では考えられませんが

そういうことに個人差が現れる時代でした。

今やCADで簡単にできることでもスキルも時間も必要だったのです。

プリーツやフレアーの展開もそのひとつです。

当時は元になるパターンを青焼きコピーしてから、それを切り開いて作っていました。

やり直すときは同じことを繰り返します。

ピンタックも、今では画面上であっという間にできることです。

青焼きコピー

実寸のパターンを複写して工場さんに依頼します。

今のようなコピーではなく青焼きでした。

感光紙にパターンを重ねて、シミを探知する専用液のコピー機を通すと

パターンの線が焼き付けられます。

といっても回転する機械を通すので、同寸ではなく、どうしても少し長く仕上がるのでした。

今だったらあり得ない!でしょうね。

左右の形が変わるときは、裏向けてコピーした後、

「わ」のところでのりとスコッチテープでキレイに貼ります。

文字が反対なので不要なところは2本線で消して、必要な部分は書き直していました。

そのあとは工場さんにお任せのことが多く、

素材に合わせたパターン展開や、縫い代付けもやってもらってました。

工場さんのやりやすい方法などもあったでしょうしね。

大量のごみ

パターンづくりも紙、コピーも紙。トワール用のシーチングの切れ端も大量です。

毎日大量のごみが出ました。大きなポリのごみ箱をふたりで共有して、

一日の終わりにはクラフト用紙で作ったさらに大きなゴミ袋に入れて捨てていました。

重要書類?

パターンは重要書類とされていて、捨てるときはビリビリに破いて、

工場さんからも全部、返却してもらっていました。

写しとられてたらお終いですけどね。

その後の会社ではデータで中国に送っていましたが、

流出しないものかと不思議に思っていました。

コピーし放題の国でしたから、横流しなんかもあったかもしれません。

では今日もぼちぼち行きましょう。

洋裁型紙のお店Nara-Kara.
パタンナーが本格的な婦人服の型紙を販売するサイトです。大きなサイズ、割烹着、バッグや雑貨の型紙もあります。
にほんブログ村 その他生活ブログ 家計管理・貯蓄(50代)へ
にほんブログ村 ハンドメイドブログへ
にほんブログ村 その他生活ブログへ

コメント

タイトルとURLをコピーしました