【認知症】母がレビー小体型認知症になりました(8)

認知症

2022.11.5リライト

母がレビー小体型認知症と認定され、同じ病気のご家族の方の参考になればと、どんな出来事があったかつらつら思い出しながら書いています。話が前後することもありますがご了承ください。
今回から家族のグループLINEのやり取りをもとに記事を書いていこうと思います。
過去の記事もいつか手を加えたいと思っています。
前回の記事では短期入所生活介護施設に緊急入所して食事を取らなくなったところまででした。

2020年1月も終わりそうな頃

介護老人保健施設(老健)の入所を断られた

移る先の介護老人保健施設(老健)の方針は薬に頼らない治療


栄養バランスを整え、リハビリをして改善を目指す。と
薬漬けになるのは避けたかった私たち家族は願ったり叶ったり。
入所の日を心待ちにしていました。

ただし食事管理を徹底している分、差し入れなども一切できないことになっていました。
入所は2月3日の15時。せめて家族そろってご飯を食べてからと予定していました。


ところが一時緊急入所した施設で、かろうじて1月31日には私の持って行った上用まんじゅうだけは食べたのですが、出されるものをまったく口にしなくなりました。


入所予定の老健に連絡すると「食べられない人は受け入れできません。看取りということでしたら別ですが。」と言われました。

断る理由は
・施設自体は医療機関ではないので、点滴で栄養を補給などは出来ないから

ということでした。併設の病院が運営しているのに・・・。腑に落ちない気分でした。

総合病院で受診

以前から総合病院の脳神経内科を受診していました。
2月3日の朝から脳神経内科を受診することにしました。
ケアマネさんと相談の上です。
どこにも預かってもらえなくなった母を入院させてもらえないか思ったのです。
母は首をうなだれて車椅子に乗ったまま動かず、とてもじゃないけど普通には見えない状態でした。
脳神経内科で保護入院させてもらえませんか?と相談すると
「保護入院は精神科の措置だから、精神科を受診してからでないとダメ。もし内科で受け入れるにしても24時間つきそいを」と言われました。
すでに私の気力も体力も限界に達していて車で10分ほど離れた精神科に連れて行く力は残っていませんでした。もう何処にも受け入れられない絶望的な気持ちでした。
外で待つよう言われ、そのあいだに家族に経緯を報告しました。
今になりやりとりを見返すと、少し心が病んでいたように感じます。

SOS!「誰か助けて」

兄:今日すべて片付けなくてもいいからダメだったら後日ということで行こう。緊急避難的に自分がまた実家に泊まってもいいし。
私:(略)実家で点滴受けて、いのち繋いで、食欲回復するまで待つのが良かったと思ってる。
結局ややこしいことになってる。ものすごく消耗してる。
従姉妹:迷う状態やったらTさんに電話したら?(Tさんはリハビリ施設の代表。従姉妹と懇意)
私:何を私ひとりで迷えばいいかもわかりかねる。ひとりで決められるならホスピスを探す
従姉妹:親身に相談できる知識のある人が必要では?
私:相談なんかいらん。私に決断を委ねないで欲しい。相談じゃなくて助けて欲しい。
だいぶ追い詰められてますよね。

脳神経内科での受け入れ

しばらく外で待ったあと脳神経内科の先生が、私の様子を考慮してか
「とりあえず1週間程度入院を受け入れます」と決めてくれました。
本当に安堵しました。助かったと思いました。

今から振り返ると身体的でなく精神的な要因で食べなくなったのに、
老健の対応は画一的でした。
規模が大きい施設ではひとりひとりの症状に合わせた対応というのは難しいようです。

同じ病気のご家族のかたの何か参考になることがあればうれしいです。

では今日もぼちぼち行きましょう。

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