【よもやま話】昭和のトイレ事情

健康、身体

どうも。ぼちぼちです。

またまたお食事中には読めない内容です。

コロナ禍以来、トイレでペーパータオルを使い捨てするようになりました。手を拭きながら昔は全然違っていたなぁ。と遠い記憶がよみがえりました。

昭和のトイレは

高校生まで住んでいた家は、平屋建ての木造一軒家でした。

そのころトイレと言えばどこもまだ「汲み取り式」でした。家の外にトイレのあるお宅もたくさんありました。月に一度、大きな掃除機のような、し尿回収車が来て汲み取って行ってくれます。もちろん常に排泄物がそこにあるのですから、臭います。平成生まれ以降の人には想像できないでしょう。

小学校もそうでした。校舎とは離れた場所にトイレがありました。

わが家ももちろん汲み取り式で、2か所にありました。裏と表のように背を合わせたように設置されていました。

一か所には靴を履かないと行けません。主に祖父母がそこを使っていました。

もう一か所は「離れ」の廊下から続きで屋根があり、靴を履かなくても行けました。いわゆる和式のトイレです。陶器の便器がありました。祖父母のトイレは便器がなかったと記憶しています。

むかしのトイレはこわかった

私たち親子は離れで寝起きしていたので、この廊下続きのトイレを使っていました。廊下にはガラス戸があり、続いているとは言うものの外です。そして庭には明かりがなく、夜、トイレに行くのがすごく怖かったのを覚えています。

小学生のころNHKの人形劇「南総里見八犬伝」の「たまづさがおん霊」が恐ろしくて、真っ暗な庭から出てきそうな妄想にとらわれて、毎夜、恐怖でした。

それに、大人の手のひらぐらいの大きさのクモや「便所バチ」と呼んでいたハチの存在も恐ろしかったです。クモは体の毛?がわかるぐらいでした。用を足している間もどこにいるか常に確認しながら。だからトイレで落ち着けることはありませんでした。

手洗い事情

用を足したあとは手を洗います。このころ石の手水鉢に水がためられていました。冬はとても冷たくて、そこにちょこっと手を付けるだけでタオルで拭いておしまい。家族全員が同じ水で手を洗っていました。しかもどれくらいの期間その水が使われていたのか記憶にありません。手水鉢の上に水道があったような気もします。日々流していたのでしょうか?自分ではしたことがないです。

タオルももちろん共有していました。祖父母の使うトイレよりきれいだと思っていましたけど、清潔とはほど遠かったです。まぁそのことで病気にはならなかったようですけど。

今は使い捨てのペーパータオルです。ずいぶんと清潔な生活を送るようになったものですね。

それでも、どれだけ清潔になっても新たに病は生まれるのでしょう。

では今日もぼちぼち行きましょう。

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