【よもやま話】なつかしくてやさしい死語

昭和ばなし

どうも。ぼちぼちです。

おじいちゃんとおばあちゃん

祖父は明治、祖母は大正生まれでした。昭和40年代生まれのわたしの年頃だったら特に珍しいことではないでしょう。父母は戦中生まれで、祖父母と父母、兄の6人暮らしでした。

共働き

脱サラした父は、わたしが4歳のときに商売を始めました。それこそちょうど高度経済成長期でした。母も商売を手伝うようになり「共働き」になりました。そんなことで、自然と昼間は祖父母と過ごすことになり、わたしはおばあちゃん子になりました。

祖母のお出かけ

祖母は免許を持っていなかったので生活圏はどこに行くにも徒歩でした。祖母も商売をしていたので重い荷物を運ぶときでも、肩にかついで歩いて行っていました。

祖母はときどき、親しい人の家に訪問することがありました。どんな用事だったかはわかりません。商売の話だったかもしれないし、雑談のときもあったかもしれません。たいがいは上がり込んだりはせず玄関で腰掛けて話すとかその程度だったと記憶しています。

わたしはそういうお出かけに誘われたら必ずくっついて行きました。

呼ばれ方

祖母にくっついて行くと、訪問先の人たちは必ずわたしにも「いとはおばあちゃんに似てはるなぁ」とかそんな感じで声をかけてくれました。

「いと」はとてもやさしい響きで、なんだか幸せな気分にさせてくれる言葉でした。

ちかごろでは「いと」なんて言葉はとんと聞かなくなりました。私がおばさんになったからというだけではなく、幼い女の子のことはせいぜい「お嬢ちゃん」と呼ぶのが普通でしょう。

今なら呼びかけるだけでちょっと警戒されるかもしれませんね。

聞かなくなった言葉

先の「いと」もそうですが、「おいど」
いやあんまり上品な言葉ではないですが、まったく聞きません。

わたしも使いませんが、「しんきく(春菊のこと)」「さんわんとう(三温糖)」「メリケン粉(薄力粉)」「ドンゴロス」少し思い出すだけでも聞かなくなった言葉がたくさんあります。

想像するに、それに代わる言葉をテレビなどを通じて知るようになり、そちらを使うように移行していったのではないでしょうか?

そして、さらにデジタル時代になり、標準語以外は上手く変換されなくて、どんどん言語は平準化されていっているのではないでしょうか?

それと引き換えに消えていく言葉がさみしくも懐かしく感じます。まぁ、そんな年齢になったということなんでしょうね。

では今日もぼちぼち行きましょう。

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