【よもやま話】コリアンタウン初体験

たのしいこと

どうも。ぼちぼちです。
大阪の鶴橋といえば、コリアンタウンの広がる街です。

駅の周辺にはアーケード街があり、韓国食材、衣料、さまざまな店がひしめき合っています。

古くて新しい

今、韓国ブームですよね。

だけど、韓国になかなか行くことができないから、国内で韓国を感じられるコリアンタウンに人が押し寄せていると聞いていました。人気のある場所には人が集まるものらしいです。

わたしも友人から誘われたので、二つ返事で喜んで出かけました。

韓国語教室の生徒さんたちはみんなで一緒に行ったり、個別にしょっちゅう行っているそうで、

事前におすすめのごはん屋さんをリサーチしておきました。

駅に集合したのが10時半過ぎ、駅を出てすぐに、いかにもコリアンタウンに行きそうな中高年のグループがたくさんいることに気づきました。

いや、すごいやん!混雑を避けて平日を選んだはずなのに!

人がいっぱい

コリアンタウンの人込みを見た友人がひと言。「原宿みたいやな」

たしかに!狭い道幅や人のひしめきあい具合はまさに竹下通り。

ただし、年齢層は3倍以上~ってとこでしょうか。

飲食店、食料品店、雑貨店、衣料品店(少な目)化粧品店(品揃えは少な目)、主にこんな感じでした。

わたしはネイルシールあったら買いたいなぁと思ってたのですが、全然見つけられませんでした。

あまりに人が多くて、狭い店内をうろうろするのもはばかられ、くまなく見られなかったせいかもしれません。

雑貨店で可愛いものをたくさん見つけ、いかにも韓国らしいお菓子の店やおしゃれなお店もあり、見物するのがすごく楽しかったです。人がもうちょっと少なかったらゆっくりできたんだけどな。

何で韓国人街なの?

生野区の高校、専門学校に通っていたので、そのころから韓国街があるのは知っていました。

同級生に在日韓国人が混じっているのが普通でした。

彼女たちが韓国語を話せたかどうかはわかりません。私たちとの会話は日本語だったからです。

国籍を知らなくて海外旅行を一緒にすることになって、韓国人だとわかった友達もいました。

なんで鶴橋にコリアンタウン商店街ができたのか、いつからなのかと調べてみると、大正時代末期に済州島から大阪へ渡航するよう人が多くなり始め、第二次世界大戦の空襲で御幸通り商店街にいた日本人が疎開のため家を安く貸したり売ったりし、その相手が近くで商売をしていた在日韓国人たちだったので今のような独特な商店街が出来たそうです。

その後、昭和後期に衰退しかけたところで、違う客層に働きかけようと、今のように変化させたとのことです。

(生野コリアンタウン沿革情報より)

第4次韓国ブーム

わたしが「愛の不時着にハマって」と教室の方に話すと「第4次やな」って。

なるほど、4度目の韓国ブームだったんですね。

第1次「冬ソナ2003年〜2004年」「日韓サッカー(2002)」

第2次 K-pop(2010年頃)「KARA」「少女時代」「BIGBANG」

第3次 2016〜2017年頃「BTS」「TWICE」韓国グルメ

3次まではこんな感じらしいです。

夫が「冬ソナ」にめっちゃハマってましたから先駆けですよね。(笑)

鶴橋駅周辺がもっとディープです

いわゆるコリアンタウン商店街というのは「御幸通り中央商店街」のことです。

ここは、鶴橋駅から徒歩で10分ほどで、観光地という感じです。

商店街までの広い通りにも韓流のお店が増えています。最近できた感じです。

駅の高架下に広がるアーケード街は昔と変わっていない感じがしました。

狭い迷路のようなところに食料品店がひしめきあって、日常会話の韓国語も飛び交っています。

生活する人のための市場っぽいです。

もっとディーブに韓国市場を味わいたかったらじっくりこちらも楽しむのがおすすめです。

(タイトル写真は韓国旅行のときのものです)

では今日もぼちぼち行きましょう。

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